1月第4週のメールマガジン、日本橋店からは渡辺が担当致します。 独り善がりの駄文に暫しのおつきあいを…。 ウラなんばのごく一部、局地的に相変わらずの和モノ・歌謡曲ブームが続いている訳であります。 俗世では”日の目を見なかった”名曲が、ウラなんばのごく一部で漸くスポットライトを浴びようとしているのでございました。 上の文章は日本橋店水島が昨年11月29日のハイファイ堂メールマガジンで述べたもの。 http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/131129/index.html 僕も大好きな和モノ・歌謡曲について述べます。 |
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“Songs change with the times, the times change with songs.” 和モノ・昭和歌謡のムーブメントに於けるひとつのターニングポイントは、横山剣率いるクレイジーケンバンドの1stアルバム「パンチ!パンチ!パンチ!」が世に出た98年だと僕は思っている。 このアルバムで横山はそれまでの活動で培ってきたメジャーセブンスのコードを控え、マイナーコードによる湿度の高いモノクロームな音楽を列挙して見せた。 それらの楽曲は決してステレオタイプの歌謡曲調ではないが、高度経済成長期の日本の酒場の喧騒や男と女の痴話事を書き割りのようにメロディに乗せて、“見てきたような嘘をつく”という昭和歌謡の美学を蘇らせた。 その中のシルヴィ・バルタンを彷彿とさせるイエイエ路線の「葉山ツイスト」という楽曲の歌詞の“フェンダーミラーのセドリックで昭和にワープだ”の一節こそが、このバンドを良くも悪くも昭和歌謡のバンドというイメージを決定付け揶揄されるに至った。 さらに僕たちが昭和という時代をことさら意識するようになったり、昭和な云々…と言った言葉の使い方をするようになったのも、平成という年号に変わり10年目にしてこの“昭和にワープだ”のフレーズが世に出てからだと思う。 それ以来、昭和という概念が音楽以外にも、ファッション・インテイリア・雑貨・飲食等々、あらゆるものに波及していった。 |
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“One Nation Under A Groove ” 当然ながらクレイジーケンバンドの1stアルバム「パンチ!パンチ!パンチ!」が世に出た98年よりもずっと前から和モノ・昭和歌謡というシーンはあった。でもそれらはアンダーグランドなクラブシーンの中や、極々一部のマニアのもの。 80年代の終わり頃だったと思うが、クラブDJやヒップホップアーティストの間で過去の音楽を現在の価値観で捉え直すレアグルーブという概念が生まれた。 簡単に言うとダンスに適した乗りのある珍しい楽曲をクラブ流したりヒップホップの楽曲に使うということ。 このレアグルーブのムーブメントが和モノ・昭和歌謡のシーンを太く大きくして行く。 ジェイムズ・ブラウン直系のファンクから始まり、ジャズやラテンにロックから映画音楽やイージーリスニングなどありとあらゆる音楽が掘り起こされ、ソウルやファンクなどダンスミュージック以外の音楽でも気持ち良く踊れることがレアグルーブの下で証明されてきた。 東映や日活系のジャズロックなサウンドトラックやグループサウンズの他、ティンパンアレイ系のシティポップは当然として筒美京平や浜口庫之助のソウルフルでジャジーな歌謡曲もその対象となる。 古くから海外でも日本のグループサウンズはガレージロックのカテゴリーで高評価だった。 それがレアグルーブとリンクして90年代初めにはロンドンのクラブでゴールデン・カップスの“銀色のグラス”が流れていたそうだ。ルイズルイス加部の物凄いベースをクラブの大音響で身体で感じれば気持ちいいに決まっている。 ロンドン・カムデンのフロアでゴールデンカップスが流れ出した頃、東京では東京パノラママンボボーイズというDJとパーカッショニストからなるユニットの話題で持ちきりとなっていた。彼らはロックが台頭する陰で失ってしまった赤坂ラテンクォーターに代表されるナイトクラブ直系のビッグバンドサウンドをクラブのフロアーに鳴り響かせた。ストレートアヘッドなラテンナンバーに殿様キングスの「恋は赤いバラ」などを挟みながらお色気やお笑いを織り交ぜたショーマンシップを、僕も目から鱗が落ちる思いで見たことがある。 そして97年、本邦初の大バコでの和モノDJイベント「僕を呼んでおくれ」が大阪アメリカ村グランカフェで開催される。 http://grandcafeosaka.com/1110-sat-僕を呼んでおくれ/ このイベント以降、歌謡曲やシティポップスをアクセントや飛道具として使うだけでなくフルタイムでの和モノ系イベントが急速に広まっていった気がする。 ところでこの「僕を呼んでおくれ」を主催するDJユニットジョーとヒグチの樋口氏はクレイジーケンこと横山剣と古くから親交があり、80年代中頃に横山剣が結成していたダックテールズの関西公演ではスタッフとしても活動していた。 そしてダックテールズのデビューシングル「真夜中のサリー/お前とダンスパラダイス」は作詞/森雪之丞・作曲/筒美京平という豪華な布陣による平山三紀マンダリンパレス級のソウルフルな王道歌謡。 同時期、音楽評論家/湯浅学・デザイナー/船橋英雄・漫画家/根本敬の3人による幻の名盤解放同盟が数々のディープな歌謡曲のコンピレーションCDをリリースする。こちらは成熟よりも勢いが優先した高度経済成長期の強烈な匂いが真空パックされている。 ひとつひとつの点はインターネットの整備と共に線となり面となって大きなムーブメントと呼べるまでに拡大深化していった。 ピチカートファイブの活動も和モノ・昭和歌謡を語る上では外せない存在だろう。小西康陽を中心として1984年の発足から2001年の解散まで良質な音楽を量産してきた。ロックが音楽ビジネスを席巻してから世界のポピュラー音楽はアメリカとイギリスの音楽とそれを模倣したものばかりになってしまったが、ピチカートファイブの音楽にはそれ以前のフランスやイタリアの音楽や映画の質感がある。それは昭和40年代の朝丘ルリ子やいしだあゆみなど女優系のファッショナブルな歌謡曲に通ずる。 |
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“昭和にワープだ” 98年をターニングポイントに、ひとつひとつの点はインターネットの整備と共に線となり面となって大きなムーブメントと呼べるまでに拡大深化していった。 ずいぶんと話しがとっちらかってしまいました。 ここからの続きは次回に致します。 日本橋店 渡辺正 |