明けましておめでとうございます、京都商品部の朴 高史です。 ふと思ったのですが、オーディオとは、糸電話の片側の様なものなのかと。 で、もう一方のほとんどすべて(音声データ以外)が「マイクロホン」です。 ということで、今回は「マイクロホン」についてです。 |
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マイクロホンの誕生は、1876年の電話機の発明によります。 電話機の受話装置として、音声の空気振動を、電気信号に変換する機能として、改良、発展してゆきます。 最初に普及したのは、トーマス・エジソンが開発した「カーボンマイク」。 (この時期にエジソンはすでにコンデンサーマイクの設計もしてた様です。) 1920年から始まったラジオ放送でも、「カーボンマイク」が使われます。 |
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レコーディングにマイクロフォンが使われだしたのは、1925年以降で、 それまでは、ラッパ録音とも言われた、アコースティック録音でした。 |
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電気録音の最初の記録が、1925年の、米ビクター社のウエスタン・エレクトリック方式による、 アルフレッド・コルトーのピアノ演奏(ショパンとシューベルト)でした。 |
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レコードの音質が、革命的に向上し(録音の周波数特性が250〜2,500Hzから50〜6,000Hzに)、 アメリカ、イギリスに広まり、定着してゆきます。 時代とともに、音質、性能の向上が図られてゆきます。 |
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ベロシティマイク(リボンマイク) ダイナミック型マイクの一種で、受音部の磁極の間の細長いスリットに金属箔(リボン)が使われており、 幅広い音域に反応し、音質が柔らかく、ボーカル、弦楽器などに適したマイクとされております。 空気の振動速度に比例する電圧が生ずることから速度型(ベロシティ)ということの様です。 |
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RCA 77-A 1932年 1920年半ば頃から開発が進められたベロシティマイク、RCAの最初のモデルが デュアルリボン、単一指向性の巨大なマイク「77-A」です。 |
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1929年、ハリー・F・オルソンにより設計され作られましたが、市販化されたのが1932年とされてます。 その後、大きさ、指向性の様々なバリエーションが作られてゆきます。 1954年導入されたのが、サイズの小型化、指向性の切り替えを備えた「77-DX」 5、60年代の数々のボーカルの名録音に使われます。 |
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RCA 44A 1932年 1931年、RCA研究所のハリー・F・オルソンにより77-Aの廉価版として開発され、最初に市販化されたのが「PHOTOPHONE TYPE PB-31」 1932年開業のラジオシティ・ミュージックホールに採用されます。翌年、発表されたのが、PB-31をベースに改良された「44A」 その性能、経済性から、ラジオ、レコーディングスタジオなどで採用され、一般化します。 |
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こちらも、指向性の様々なバリエーションが作られてゆきます。 1938年、指向性パターンの違う44-B、44BX、小型モデル74-Bが導入されます。 日本では、NHK技研と東芝により、RCA の特許を使用し、44BXをベースに1937年に「東芝A型」 1952年に77Dをベースに「東芝G型」のベロシティマイクが作られ、普及します。 |
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東芝 OB-1028(A型)1937年 |
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東芝 OB-1062K(G型)1952年 |
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コンデンサマイク 空気振動による蓄電器(コンデンサ)の静電容量の変化を電気信号に変換する仕組みのマイクロホンです。 幅広い音域に反応し(特に高域の感度が高く)、スムーズで、クリアな音質ですが、湿度や衝撃に弱くデリケートです。 |
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1928年に創業された、ゲオルグ・ノイマンのノイマン社が開発した、「CMV 3」が量産化されたコンデンサマイクの最初のモデルです。 時代はナチスドイツの時代です。ナチス党の党首アドルフ・ヒトラーの最大の武器である演説をサポートすることとなるマイクが「CMV 3」です。 終戦後、社屋は破壊され、会社は東西に分裂しますが、縮小され残ります。 |
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1949年、「CMV 3」の技術をベースに開発されたのが、世界初の指向性切り替え可能な(単一指向性と無指向性)真空管コンデンサマイク「U-47」です。 400ドルと当時としてはかなり高価なマイクですが世界中に広まり、スタンダードとなり、テレフンケンを始め、様々なコピーマイクも生まれます。 |
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NEUMANN U-47 1949年 |
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1950年代のアメリカのボーカリスト(ナット・キング・コールやエラ・フィッツジェラルドそしてシナトラなど)や、ジョージ・マーチンが録音したビートルズなど、 有名な録音では必ず使われてました。 特にフランク・シナトラは、U-47に「テリー」という愛称をつけて愛してた様です。 あるとき、シナトラは著者にこう告白した。「最初の頃、自分の楽器は声かなと思ったがそうではなかった。マイクロフォンだったんだ」 ピート・ハミル著『ザ・ヴォイス/フランク・シナトラの人生』(馬場啓一訳、日之出出版) |
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1958年U-47に使われていた真空管「テレフンケンVF14M」の製造が終了し、1965年にU-47の生産は終了します。 1960年、指向性切り替えが3パターン、電源部にも改良が加えられた「U-67」発表されます。(山下達郎が愛用し、河村隆一も二本持ってます。) |
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NEUMANN U-67 1960年 |
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NEUMANN U-87 1968年 1968年、現在のスタジオマイクの定番とされる「U-87」が発表されます。「U-67」のトランジスタ仕様でファンタム電源対応となります。 |
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国産コンデンサマイクの一号機は、1955年ソニーの前身である東京通信工業による「C-37A」です。 C-37A 1955年 NHK技研(中島平太郎)との共同開発で未完成だった「CU-1」がベースになってます。 |
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「C-37A」の後継機が漫才マイクの定番「サンパチマイク」の「C-38B」です。 シュガー・ベイブのデビューアルバム「SONGS」をプロデューサー兼エンジニアの大瀧詠一氏が「C-38B」で録り切ったそうです。 SONY C-38B 1965年(発売時はC-38でした。) |
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ダイナミックマイク ダイアフラムが、音声空気振動を直接受け止め、電気信号にに変換する機構のマイクです。もっとも一般的なマイクの構造と言えます。 現在、マイクロホンは、使用場所、使用用途により適した指向性のものが選ばれ、使われていますが、それが可能となったのは、このモデルの出現からかと思われます。 |
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shure 55 unidyne 1939年 1925年創業のshure社が、大恐慌後の30年代頃から、マイクロホンを中心に事業を進め始め、1939年に25歳の若きエンジニア ベンジャミン・バウアーが開発したのが 世界初の単一指向性、シングルエレメントダイナミックマイク「55 unidyne」シリーズです。 発売時には、インピーダンスのバリエーションが3タイプ(55Aが低インピーダンス、55Bが中間インピーダンス、55Cが高インピーダンス)あった様です。 また価格も当時45ドルと手頃で、一気に一般化されてゆき、性能、機能の改善改良が図られ、現在も現役で使われ続けるマイクロホンです。 |
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エルビス・プレスリーが愛用したことにより、エルビスマイクと呼ばれることを始め、ジョン・F・ケネディ、マーティン・ルーサー・キングの演説、 ジェームス・ブラウンのステージと様々なシーンで使われ、マイクロホンアイコンとして確立され、ステージマイクの定番となってゆきます。 |
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1960年から1970年に掛けて、時代は激しく変化し、ロック・アンド・ロールはロックに、リズム・アンド・ブルースはソウルにと 音楽、そのステージも変化してゆく時代に登場したのがこのモデル。 shure SM58 1966年 |
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元来はテレビ、ラジオのスタジオ用マイクとして開発が進められた「SM」シリーズなのですが、(すでに、PA用モデル565がありました。) あまりにも売れずに廃盤直前なったのですが、ラスベガスのライブステージ用への売り込みが成功し、 その強靭な耐久性、コストパフォーマンス、性能で、現在もステージマイクの定番となってます。 |
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これらの歴史的マイクロホンの数々は、修理を重ね現役で使われ、また、コピーモデル、改良モデルが現在も作られ続けています。 最後は、2015年メジャーデビュー、27歳の若きリズム・アンド・ブルースシンガー リオン・ブリッジスのデビュー曲「Coming Home」をお聴きください。 ファッションから音作りまでヴィンテージにこだわってます。懐かしくも、現在的です。 |
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次回は、レコード盤について、今年も考え中です。では、失礼します。 |