和モノ・昭和歌謡 続編 日本橋店 渡辺正 『和モノ・昭和歌謡のムーブメントに於けるひとつのターニングポイントは、横山剣率いるクレイジーケンバンドの1stアルバム「パンチ!パンチ!パンチ!」が世に出た98年だと僕は思っている。』 などと口走った2014.1.24のメルマガ。 http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/140124/index.html 今回はその続きを述べます。 そして僕の稚拙な考察に、頂戴した高崎クンの物言い。 『ただ「CKB押しも分かるけど、それだけぢゃないのになぁ・・・」と思ったのが正直な感想でしたので』 http://www.hifido.co.jp/merumaga/kyoto/140321/index.html うーん、成る程なるほどナルホド。。。 嬉しいぢゃぁないですか! 思い起こせば20数年前、インターネット前夜でまだまだ雑誌が力を持ち魅力に溢れていた頃、音楽雑誌ミュージックマガジンとロッキングオンの間では丁々発止の論戦が繰り広げられており、僕なんかもワクワクしながら発売日に本屋さんに足を運んだものです。 とまれかくまれ、高度な論陣を張れるほどの思慮も文才もありませんが、高崎クンのご意見への返答も踏まえての記事とさせて頂きます。 |
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“ポップ・ウイルス” クレイジーケンバンドの1stアルバム「パンチ!パンチ!パンチ!」がリリースされる98年よりもずっと前から、歌謡曲をマニアックにやっている人たちは潜在的にいたと思う。そんな中でも今の気分にピタッと合うようなモードで和モノ・歌謡曲を打ち出して、メジャーな市場に流通させたのは高崎クンの言う通り、コモエスタ八重樫監修「東京ビートニクス」シリーズ (1993年)や土龍団監修「ソフトロックドライヴィン」シリーズ(1996年)辺りから。アーティストとしては、奇しくもクレイジーケンバンドと同じく98年デビューの椎名林檎もその中に入るだろう。 文化やシーンというのはひとりの人間が突如閃き発明するようなものではなくて、時代の空気感だったり、気分や磁場が緩やかに動いて、結果的にできあがるものだと思う。フィールドやコネクションの異なる者達が同時に同じようなことを考えたりやっていたりするものだ。ポップ・カルチャー評論家の故・川勝正幸さんはそんな現象をポップ・ウイルスと名付けた。 エポックメイキングな出来事や発想や作品が折々に現れて、幾多の転機、変わり目、分岐点となり進化や拡大をしていくものだと僕は考える。前回メルマガでは文章力の無さから、あたかもクレイジーケンバンドのデビューが和モノ・昭和歌謡のムーブメントを作ったかのような捉え方をさせてしまったのかも知れない。 高崎クンの言う「東京ビートニクス」や「ソフトロックドライヴィン」のリリースも和モノ・昭和歌謡のターニングポイントだと思うし、98年のクレイジーケンバンド1stアルバム「パンチ!パンチ!パンチ!」で登場したキラーフレーズ「昭和にワープだ!」は、昭和と言う単なる元号からポップな意味と響きを持つ記号に置き換えたエポックメイキングな事柄だと僕は思っている。 |
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“かっこいい世界” かっこいい世界は探せばきっとある もしもそれが全滅したら いっそ昭和にワープだ(かっこいいブーガルー/2001年) 98年のデビュー作で高らかに「昭和にワープだ」と宣言した横山剣は再び、「かっこいいブーガルー」という楽曲でより鮮明に「昭和にワープだ」を打ち出しした。 くどくて申し訳ないが前のメルマガに書いた文章を引用させてもらう。 『僕たちが昭和という時代をことさら意識するようになったり、昭和な云々…と言った言葉の使い方をするようになったのも、平成という年号に変わり10年目にしてこの“昭和にワープだ”のフレーズが世に出てからだと思う。それ以来、昭和という概念が音楽以外にも、ファッション・インテイリア・雑貨・飲食等々、あらゆるものに波及していった』 クレイジーケンバンド横山剣の言う「昭和にワープだ」とは、過去を懐かしむ安易な行為ではなく、高度経済成長期の高揚感や折り目正しいプレイボーイ文化を、平成のこの時代に、時空をねじ曲げて移動して、ヒップな質感を楽しむという行為であるが、昭和という元号がポップな意味と響きを持つ記号に置き変わると同時にキャッチーな言葉として独り歩きして、テーマパーク的なレトロ居酒屋の安普請な佇まいとサビの浮いたホーロー看板なセンスが街に溢れ出して行くことにもなった。 それは「昭和にワープだ」が登場して2年が経った2000年の頃の話だ。 |
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“めくるめく昭和75年” クレイジーケンバンドがピチカートファイブ小西康陽のレーベルからサードアルバム「ショック療法」をリリースすることとなったのが2000年(昭和75年)のこと。 http://www.crazykenband.com/discography/album/album_3rd_detail.html 『横山剣さんによる和モノ・昭和歌謡リスペクトと啓蒙活動が行われていたようですが、それが若いリスナーやDJに日の目を見るのは須永辰雄氏や小西康陽氏まわりと絡む様になってからではないかと』 この高崎クンの僕の記事へのご指摘はここら辺りのことを指している。 1999年(昭和74年)12月31日のピチカートファイブ・カウントダウンライブにゲスト出演、そこで横山は大勢の若きオーディエンスに向かい昭和75年の幕開けを宣言。2000年(昭和75年)2月からは須永辰雄オーガナイズのクラブイベント「CRAZY KEN'S MIDNIGHT HOURS」を月いちで敢行。ようやく色モノ、コミックバンド、コンセプト不明と揶揄され続けたクレイジーケンバンドと時代のギアが噛み合い出して、空気や流れが変わってきた。 同年バンド初のライブ・アルバム「青山246深夜族の夜」もリリースされたが、そちらも素晴らしかった。ライブに於けるあらゆるネガな状況を、はち切れんばかりの快演ですべて跳ね除けプラスに転じている。このライブ・アルバムはゲストも特筆もので、DJ陣にはクボタタケシや川勝正幸、幻の名盤解放同盟によるトークショウ、そしてメインのライブアクトに野坂昭如がフューチャリングされている。安田謙一のライナーノーツによると、観客として藤原ヒロシと佐川一政も来ていたそうだ。 このあり得ない振幅の広さこそが、平成の時代に時空をねじ曲げてワープした「昭和」というポップカルチャーの面白さと深さを示していると思えてならない。 |
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1999年大晦日のピチカートファイブ・カウントダウンに於いて、2000年を平成12年ではなく昭和75年とリセットしたクレイジーケンバンド横山剣は、軽妙洒脱なピチカートファイブ小西康陽から、情念と怨念の幻の名盤解放同盟まで巻き込み、巻き込まれつつ、マニアを無邪気に、カタギをディープにする開かれた音楽性(©川勝正幸)を繰り広げていく。 関東エリアのGSリスペクトなガレージロックな面々、東京パノラママンボボーイズに代表されるサバービアでモンドなクラブDJ達、その延長線上に位置するピチカートファイブ小西康陽 和モノを語る上でかかせないアルバムが「円楽のプレイボーイ講座 12章」。 前田憲男のビロードのような音楽と三遊亭円楽の軽妙洒脱でキザの極みな語りで構成され、一瞬に辺りをエンジやムラサキに染めてしまう右肩上がりなパンチ力を持つ。横山剣の幼少期の愛聴盤であり彼のレコメンドあったればこそ2001年(昭和76年)奇跡のCDリイシューにこぎ着けた。当然ライナーノーツは横山が手掛けている。 ちなみに、この円楽の語りを単なるギャグとしか思えない人は「昭和にワープ」することはできない。笑えるほどキザではあるが、ニンマリしながら、その折り目正しいソシアルプレイスなプレイボーイ文化の質感を大いに楽しむべきものである。 |
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ひと頃のテーマパーク的なレトロ居酒屋の安普請な佇まいとサビの浮いたホーロー看板なセンスは鳴りを潜めつつあるが「昭和」と言うポップカルチャーはいまだ現役でピンピンしているし、センスの周波数を合わせれば・・・ウラなんばのごく一部、局地的に相変わらずの和モノ・歌謡曲ブームが続いている訳であります。俗世では”日の目を見なかった”名曲が、ウラなんばのごく一部で漸くスポットライトを浴びようとしているのでございました。 http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/131129/index.html ・・・となるのである。 恐々謹言 |