今年の春は、あまりにも早く進んでおり、さくらを見る間もありませんでした。京都商品部の朴高史です。 商品部では、日々、スピーカーを中心にメンテナンスを行っております中、今回は、最近仕上がりましたこちらのお話です。 SONY SS-G7 |
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1976年に満を持して発表された、フロア型スピーカーシステム。当時一万台も売れた大ヒットスピーカーです。 70年代初頭、テープデッキや、アンプ、レコードプレーヤーなどで、業界では高い評価を得ていたソニーですが、スピーカーシステムの評判は今ひとつでした。 そんな中、当時の社長であった井深 大氏が、NHK技術研究所から中島 平太郎氏をヘッドハンティング。新設の技術研究所 所長、音響事業部 部長として迎えられました。 中島平太郎(なかじま へいたろう) 1921年 久留米市生まれ。福岡県立明善高等学校卒。九州大学大学院を卒業後、1947年NHKに入局。技術研究所音響研究部長、放送科学基礎研究所所長を経て1971年ソニー株式会社に入社、 常務取締役に就任。オーディオ機器の研究開発に注力し、オーディオCDの開発・商品化の推進と、その記録媒体CD-R を開発し、「CDの父」とも呼ばれる。 CD開発の功績により紫綬褒章を受賞。アイワ株式会社社長、スタートラボ社長を歴任し、日本オーディオ協会会長、日本音響学会会長も務めた。現在ビフレステック株式会社会長。 |
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CDの父とも呼ばれておられます中島氏ですが、ソニー入社当初は、初めての民間企業という事もあってか、あまり順調な滑り出しでは無かった様です。 4チャンネルオーディオやエルカセットでの失敗を経験され、その後に取り組まれたのがスピーカーシステムの開発でした。 先ずは、水質に拘った甲府(スピーカー専門)工場の建設、NHK時代に三菱2S-305の開発の中心におられた中島氏(ソニー入社時にも2S-305を持っていかれたそうです。) 当時の経験からコーン紙の製作には上質な水が必要との事での立地だったようです。 入社5年目で完成したSS-G7。発売時のプロモーションでは、中島氏自身に依る開発時のエピソードをコラムとして10回にわたり雑誌に連載するというものでした。 その一回目が、『コーンを漉く』というコーン紙と水質のお話だったそうです。 発売と成ったSS-G7,出荷前には専用の無響室でジャズや、クラッシックを一日流し、エイジングされてたそうです。 SS-G7の成功の後、中島氏はデジタルオーディオの開発へと進まれるのですが、井深氏は当初オーディオのデジタル化には反対されてた様で、苦労されたお話など、こちらの本が詳しいです。 「次世代オーディオに挑む―いい音、心地よい音を求めて50年」 中島平太郎 風雲舎 |
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SS-G7の外観上の特徴と言いますと、 先ずは、デコボコとしたバッフル面、ソニーではAGボード(アコースティカル・グルーブド・ボード)と呼ばれ、 不要な反射が直接波に悪影響を受ける現象を抑える効果を狙ったものの様です。 (唐松のパーチクルボードでできたこちらのバッフルボードは、非常に崩れやすくなっており、よく欠けてたりします。) 次は、位相特性が乱れないよう合わせられたユニット配置で、ソニーではこちらをPLUMB INLINE方式と呼んでおりました。 テクニクスの「リニアフェーズ」に似た考え方の様ですが、金属リングで出っ張りをより強調されたデザインにソニーらしさを感じます。 (こちらのウーファーはバッフルの素材も相まって、取り外しが困難です、リングに取り外し用の凹みがあり、そこに棒を引っ掛けて、引っ張り上げるように外します。) |
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アッテネータープレートのクスんだシルバーのヘアラインは、同時期に発売されていた、プリメインアンプ TA-F7B チューナーST-A7B カセットデッキTC-K8Bなどと統一を図られたデザインの様です。 ユニット設計に、アポロ計画をはじめ、宇宙船の開発に応用されたNASTRANと呼ばれるコンピューター技法を導入するなど、革新と理論を具現化した実にソニーらしいデザインのスピーカーです。 |
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二年後の1978年に上位機種と成る SS-G9が発表されます。 サイズも一回り大きく、4WAY構成と成り、ワイドレンジ化、高出力化を狙ったものかと思われます。 ネットワークにもより上質のパーツが使われている様です。 ほぼ同時期に発表されたJBLの4343WXに大きさや外観が似てきておりますが、時期から考えて偶然かと思われます。 |
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翌1979年エスプリブランド立ち上げ時に発表されましたのが、APM-8 ソニー独自の平面振動板スピーカー「APM」の第1号機。 当時の国産スピーカーとしては、最高の評価を得ているスピーカー。平面型システムとしては、前年にLo-D HS-1000があります。 位相特性も申し分の無い平面ユニットが使用された、Gシリーズの完成形とも言えるこちらのスピーカー。SS-G9がこちらの試作品に思える完成度の高い製品です。 しかし価格が、SS-G9の4台分の一台当たり1、000、000円でした。 |
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そして、1996年ソニー創立50周年に発表されたのがこちら、 SS-R10 当時のソニー社長、大賀典雄氏の希望によって約四年前から着手されたフルコンデンサースピーカー。(大賀氏はクォードESLや、マーチンローガンを愛用されてたそうです。) フルコンデンサーに依る3way式スピーカー。コンデンサー式スピーカーの問題点を徹底して克服しようと開発された意欲作です。 コンデンサー式の最大の弱点である低域の再生音圧をウーファーユニットを上下、前後で片側で計4枚使用し(38cmウーファーの7個分の面積)量感豊かな低域を実現しています。 |
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1996年の暮れ、井深 大氏が亡くなられ、翌1997年に中村 平太郎氏はソニー技術顧問の座を辞されます。『次世代オーディオに挑む』はその年に書かれた氏の半生を振り返られたものです。 本の後半では、未来に向けての思いを書かれてまして、ご自身で小型スピーカーを作られてるエピソードもあり、スピーカーには未だ思いがおありの様です。 そして現在、中村氏は、ビフレステック株式会社と言うソニーの出身者が中心の会社の会長に就かれております。 ビフレステック社では、小さなスピーカーを一つ販売されてまして、それがこちら、 タマゴ型スピーカ「D’Egg/TGA-1B1/b」 |
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高さが22cm、外周が14cmの小さなスピーカーです。開発を担当されたのが、元ソニーのエンジニア 茶谷郁夫氏(SS-R10の開発時に中心におられた方)です。 プラスティック製の卵形のエンクロージャーは、音の歪みの低減には理想的な形状の様です。(以前、VICTORの試作スピーカーに同様のオーバル形状のものが見られます。) 注目は、中央の楕円形のユニットです。APMユニットと同様の平面ユニットの技術がベースと成ってる様ですが、平面ユニットの問題点とも思われる平面波の解消のために、振動板に三次曲面を付け、シェル状に作られております。 振動板の素材には、軽くて剛性の高いフラーレン/マイカ・ナノコンポジット、コーティングには、環動高分子材料のスライドリングマテリアルと言うナノテク素材が使われており興味をそそります。 音場の再現にこだわられたスピーカーの様です。(一度音を聴いてみたいです。) |
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D’Eggのユニットの膨らみに、 SS-G7の出っ張ったウーファーに通ずるオーディオへの熱いモノを感じます。 SONY SS-G7は現在京都店にて、展示、販売中です。ぜひご来店いただき、ご視聴してみてください。 |